「映画の耐えられない長さ」とクラシックコンサート
映画の耐えられない長さ:上映中にスマホをいじる人たち http://www.ikedahayato.com/index.php/archives/28078
それでもやっぱり耐えてほしい、「映画の耐えられない長さ」。 - (チェコ好き)の日記 http://aniram-czech.hatenablog.com/entry/2013/10/22/021412
こんな記事を読んでビックリした。視覚と聴覚両方刺激してくれる映画ですら2時間耐えられずスマホをいじってしまうような人たちがクラシックコンサートに来たらどうなってしまうのか。
クラシックは協奏曲で30分前後、交響曲で40分から1時間くらい一曲である。たいていのオーケストラのコンサートは序曲やら前奏曲なんやらで1時間聴いて15分休憩して交響曲などの大作をやる。その間は映画より拘束が厳しくポップコーンも飲み物もなくジーッと耳を澄ませる。映画館でたまに見られる一言二言の小声でのおしゃべりすら許されない。
指揮者や弦楽器の弓の動きなどもあるけど映画に比べれば格段に視覚に訴える物は無い。楽器をやっていれば自分の好きな楽器奏者はどんな動きをしてるかな?なんて見てるけど、やっぱり耳で楽しむ物。
ホールでは電波も遮断され携帯は圏外、音の出る機器の電源は切るように案内がある。高齢者が多いってのもあるし好きだから聴きに来るのでスマホいじったりする人なんていない。
上の記事を読んでクラシック音楽好きは忍耐力があるし時間の流れを楽しむことが出来る人間が多いのかなと思った。音楽は映画と違って1.2倍速で見るとか論外。途中で止めたりすると音楽の流れ時間の流れが止まってせっかく作曲家が素晴らしい世界に連れて行ってくれてるのにブツッ!っと現実に戻ってしまう。夢のように続きは見られない。止めたところから再生しても、もはやそれはただ音が流れてるだけになってしまう。
なんでも、まとめ世界はクラシック音楽の未来にも暗い影落としてると思う。3.4分のJ-POPになれてる人たちがいきなり30分の曲は厳しい。楽章で区切りはあるけれど。
オケのコンサートも時間短縮の流れになって作品も無残にブチブチ切り刻むようになっていくんだろうか。そんな時間芸術でもなんでもないただの音に成り下がってしまうのか。
イケダハヤトは消費者が求めてるから制作しなければいけないと締めているけど、長いものを楽しめる集中力を養うのも必要だと思う。制作者が長編作るのをやめたら終わりだ。作り手が危機感を持って長編を作り続けるべき。このままじゃ短いのが当たり前のせっかちな人ばかりになってしまう。
Rachmaninov Piano Concerto No 2 C minor Boris ...
ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番(30分)楽しめる人、美しさがわかる人もっと増えて欲しい。どこにもまとめるところが無いものだってある。

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